石見神楽(いわみかぐら)−島根県浜田市 石見之國伝統芸能−石見神楽公式サイト−

天神

天 神(てんじん)

「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」
この歌で有名な学問の神、北野天満宮や太宰府天満宮に祀られている菅原道真公(天神様)の物語である。
道真は生れながらにして才能があり、光孝、宇多、醍醐3代の天皇に仕えて右大臣にまで登用されるが、時の左大臣・藤原時平はこれをねたみ、天皇に讒訴。これによって、道真公は太宰府へ左遷された。その後、時平は39歳の若さで死に、その一党も次々に死んだ。宮中ではこの没落を道真公のしわざであると考えられていた。
神楽では、道真が時平と戦うように創作してある。


道真は幼少より詩歌に才を見せ、わずか5歳で和歌を詠み、10歳を過ぎて漢詩を創作し、神童と称された。33歳で式部少輔、文章博士となり、宇多天皇の厚い信任を受け、要職を歴任し政治の中心で活躍した。
醍醐天皇の治世でも道真は昇進を続けるが、藤原氏などの有力貴族の反発もあり、斉世親王を皇位に就け醍醐天皇から簒奪を謀ったと誣告され、罪を得て大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷される。長男高視を初め、子供4人が流刑に処され、道真は延喜3年(903年)、大宰府で没し、同地に葬られた。
道真の死後、疫病や、日照りが続き、京には異変が相次ぎ、醍醐天皇の皇子が次々に病死した。さらには清涼殿が落雷を受け多くの死傷者が出た。これらが道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返された。以降、道真を「天神様」として信仰する天神信仰が全国に広まることになる。道真が生前優れた学者・歌人であったことから、後に天神は学問の神として信仰されるようになっている。
清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられた。元々京都の北野の地には火雷天神という地主神が祀られており、朝廷はここに北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとした。道真が亡くなった太宰府にも太宰府天満宮が建立された。
元々の火雷天神は天から降りてきた雷の神とされており、雷は雨とともに起こり、雨は農作物の成育に欠かせないものであることから農耕の神でもある。各地に火雷天神が祀られていたが、道真と同一視されたことから、各地に祀られていた天神もまた道真であるとされるようになり、九州や西日本を中心に約一万社ある。
道真が京の都を去る時の未練を詠んだ「東風吹かば におひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」の歌は、その梅が京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛び梅伝説」とともに有名。

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