石見神楽(いわみかぐら)−島根県浜田市 石見之國伝統芸能−石見神楽公式サイト−

日本武尊

日本武尊(やまとたけるのみこと)

登場人物=日本武尊(やまとたけるのみこと)・介添(かいぞえ)・兄(あに)ぎし・弟(おと)ぎし賊首(ひとこのかみ)

日本武尊の東夷征伐を仕組んだ神楽。九州の豪族熊襲を平らげた日本武尊は、父、景行天皇に報告するが東の国を平定するよう命ぜられ、すぐに東国へ出発する。途中で伊勢の宮に参拝し、叔母君大和姫に会い天の村雲の宝剣を賜る。
駿河の国にすむ兄ぎし、弟ぎしたちは、天皇の命令に従わないので征伐されると聞き兄弟を呼び集めるが、日本武尊を討つ謀りごとが思いつかないので賊首に教えを請い、「この野には、人々に害を与える大鹿がいる」とあざむく。日本武尊が大野に入ったところを、八方より火を付け焼き殺そうとするが、宝剣が自然と抜け出て、草をなぎ払い守袋の中の火打ち石で迎え火を付けて難をのがれ、兄弟たちは退治されてしまう。この時、天の村雲の宝剣の名を草薙の剣と改称した。


日本書紀 巻七第四話 日本武尊の後段の物語で神楽演目「熊襲」の続編の神楽。西方の熊襲を倒して日本武尊と改名した景行天皇の皇子、日本童男(やまとおぐな)に、天皇はその手柄を誉めて特に愛されたが、その後東国の蝦夷が背いて辺境が動揺した。天皇が群卿を集めて「誰を遣わせばよいか。」問うと、日本武尊は、「この度は大碓(おおうす)皇子が良いでしょう。」と応えた。しかし、これを聞いた大碓(おおうす)皇子は驚いて草の中に隠れてしまった。天皇は、「望まない者を無理に遣わす事はない。まだ敵の姿も見ぬうちから逃げ出すとは情けない」と嘆かれた。そこで、尊は「熊襲を平らげていくらも経たぬのに、東国の夷が背きました。いつになれば太平の世が訪れるのでしょう、急いでその乱を平定しましょう。」と答え征夷の将軍に任じられ詔を受けた。
天皇は「かの東夷は狂暴で陵辱も恥じず、村に長もなく各境界を侵し争い、山には邪心、野には姦鬼(かんき)がいて往来を防ぎ多くの人を苦しめている。その東夷の中でも蝦夷は特に手強い。男女親子の区別もなく、冬は穴に寝て夏は木に棲む。毛皮を着て血を飲み、兄弟でも疑い合う。山に登るのは飛ぶ鳥のようで、草原を走る様は獣のようだという。恩は忘れるが恨みには必ず報いるという。髪を束ねた中に矢を隠し、刀を衣の中に帯びているという。あるいは仲間を集めて辺境を犯し、稔りの時をねらって作物をかすめ取る。攻めれば山に入り、追えば草に隠れ、昔から一度も皇命に従ったことがない。今お前を見ていると、身丈は高く、顔は整い力も強い。猛きことは雷電のようで、向かうところ敵無く攻めれば必ず勝つ、どうか深慮遠謀をもって良くない者はこらしめ、徳をもってなつかせ、兵を使わず自ら従うようにさせよ。言葉を考えて暴れる神を鎮め、あるいは武をもって姦鬼を打ち払え。」と日本武尊に命じ、吉備武彦(きびのたけひこ)と大伴武日連(おおとものたけひのむらじ)をあたえた。日本武尊は出陣しその途中に伊勢神宮を参拝し、叔母の倭媛(やまとひめ)命に別れを告げ天叢雲剣を授かった。
日本武尊は駿河に着いた。そこの賊が従ったように見せ、「この野には大鹿が多く、その吐く息は朝霧のようで、足は若木のようです。おいでになって刈りをなさるとよいでよう。」と欺いて言った。尊がその言葉を信じて野に入り狩りをすると、賊は皇子を殺そうと、その野に火を放った。その時、皇子の差していた天叢雲剣が自ら抜け出して皇子の傍の草をなぎ払い、火打ち石を取り出し迎え火を作って逃れた。そこでその剣を名付けて草薙剣という。

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