石見神楽(いわみかぐら)−島根県浜田市 石見之國伝統芸能−石見神楽公式サイト−

塵輪

塵 輪(人倫)(じんりん)

八調子では神2人鬼2人が対決する、鬼舞の代表的な神楽。
第十四代の帝・帯中津日子の天皇が、異国より日本に攻め来る数万騎の軍勢を迎え撃つ。
その中に塵輪という、身に翼があり、黒雲に乗って飛びまわり人々を害する悪鬼がいると聞き、天の鹿児弓、天の羽々矢を持って高麻呂を従え討伐に向かい、激戦の末に退治する。

「弓矢とる人を守りの八幡山 誓いは深き岩清水かな」


●山口県下関市 忌宮神社(いみのみやじんじゃ)伝

仲哀天皇の7年(198年)のとき、新羅国の凶酋塵輪(じんりん:真ん中に大きな鬼の顔、その回りにやや小さな鬼の顔が7つあり全部で8つの鬼の顔からなる)が熊襲を扇動して、豊浦宮(仲哀天皇が設けた仮皇居)に攻め寄せて来ました。これに対し、皇軍は大いに奮戦しましたが、黒雲に乗って海を渡ってきた塵輪が空から射かけるために苦戦し、宮門を守護する阿部高麿・弟助麿も相次いで討死しました。そこで天皇は「空から射かける者、尋常の者にあらず」と大いに憤たせ給い、ついに御自ら弓矢をとって塵輪を見事に射落とされました。そして賊軍は退散し、皇軍歓喜のあまり矛をかざし、旗を振りながら塵輪の屍のまわりを踊り狂ったと言われています。また、塵輪の首を切ってその場に大きな石で覆ったが、塵輪の顔が鬼のようであったことから、その石を鬼石と言い伝えられています。

●校定石見神楽台本より

この曲は八幡宮縁起(那賀軍雲城村八幡宮蔵、元禄己巳貝原好古の著)からとったものである。文句までも同じ個所があるから、少し長いが引用しよう。同書巻之一、仲哀天皇紀九年の條に、「今按ずるに誉田ノ宮ノ縁起、石清水ノ宮ノ縁起、八幡愚蒙訓などにしるし侍るは、仲哀天皇の御宇に当りて、新羅国より数万の軍兵せめ来りて、日本を討とらんとす。
是により天皇みづから五万余人の官軍を相したがえ、長門ノ国豊浦ノ宮にして異国の凶賊を禦がしめ玉う。この時異国より塵輪というふしぎのもの、色はあかく、頭八ありてかたち鬼神のごとくなるが、黒雲に乗て日本に来り、人民をとりころすこと数を知らず。天皇、安倍高丸、同助丸に仰て、惣門をかためさせ、塵輪来らば、いそぎ奏すべし。人民の身にてたやすく打事あるべからず。我十善の身を以て彼ものを誅伏せしめんと命じ玉う。則かの二人弓剣を帯して、門の左右を守護しけるに、第六日にあたりて、塵輪黒雲に乗じて出来る。高丸、武内大臣を以て此よしを奉しけるに、天皇御弓を取、矢をはげて、塵輪を射させ給えば、塵輪が頭たちまちに射きられて、頭と身と二つになりて落ぬ。かかる処に何にかしたりけん、流矢来りて玉体につつがあり。(中略)此事日本紀の本説にたがい、ことに頭八ある人黒雲に乗じて来るなどいえる事ほ、妄誕不経論ずるに足らず。」 とある。(この縁起は石田春昭氏の御紹介によるものである。)

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